「終末医療」に関する話は重いですね。
けど、いつまでも目を背けてはいけないので、親と話し合いました。
デジタルエンディングノートを作成しています。自分のではなく、後期高齢者である両親のです。
実家にはパソコンが無いので、今は筆者が両親にインタビューしながらパソコン入力しています。
終末医療について
今回は「終末医療」について、親にインタビューしました
父親と母親の二人揃っているところで同時にインタビューしましたので、お互いに顔を見合わせながら、同じ回答が返ってきました
別にここはお互いに忖度して意思疎通せずに、自分個人の希望を言えばいいのに・・・
とも思いましたが、とりあえず回答を集計しました
治療方針の決定は => 「息子の意見を最優先」
ふむふむ
(肩の荷がズシリ・・・)
告知方針は => 「特に希望無し:お任せ」
ふむふむ
(そうなった時には、先生とも相談しようかな)
ホスピスについては => 「入居希望」
ふむふむ
延命治療については => 「回復の見込みが無ければしたくない」
ふむふむ
(本当かな??)
臓器提供については => 「献体も臓器提供もしたくない」
ふむふむ
(本人がそう言うのなら、仕方ない)
医療費用については => 「自分の財産から使って欲しい」
ふむふむ
(助かります)
といった感じでした
「終末医療」の話は重たい
エンディングノートに様々な項目を入力していると、感じる事があります
筆者も自分自身のエンディングノートを作成しているので同様に感じる事なのですが
「葬儀」や「お墓」に関しては死後の事なので
その時にもう自分は存在しません
しかし、「終末医療」のステージは、そうではないのですよね
これを考えるのは結構重たいです
真剣に考えちゃいます
(他の項目も真剣ですが)
何度も考え直して考えが行ったり来たりします
容易に受け入れられると思っていた「死」というものが
いざ迫ってくると怖くなってきたり
逆に、以前は延命を希望していたものの
その様な状態が続いて、自身も苦しくなって、周りの迷惑も気にななって・・・
ならばいっその事、とか
「死後」よりも「死が迫った時」の方が自分自身にとっての近い未来です
この決断の重さには免疫が無いうちは、容易に判断できるとは思えません
その様な問題を直視したくなく、後回しにしたくなります
エンディングノートをやって良かった
改めて親とエンディングノートを通じて話をして良かった事は
「葬儀」の事や「お墓」の事で、考えや気持ちが少しずつ終活に慣れてきて
「終活」というデリケートな事に対する免疫力が高まってきて
ある程度の免疫力が備わってから「終末医療」について向き合う事も出来る様になりました
勿論、今後も考えが二転三転するかもしれませんが
それは、目を背けずに考えているからですね
これからも、親へのインタビューを地道に続けて行こうと思います
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