終末医療についてインタビューしました ~親子でエンディングノート その6~

エンディングノート

「終末医療」に関する話は重いですね。

けど、いつまでも目を背けてはいけないので、親と話し合いました。

デジタルエンディングノートを作成しています。自分のではなく、後期高齢者である両親のです。
実家にはパソコンが無いので、今は筆者が両親にインタビューしながらパソコン入力しています。

終末医療について

今回は「終末医療」について、親にインタビューしました

父親と母親の二人揃っているところで同時にインタビューしましたので、お互いに顔を見合わせながら、同じ回答が返ってきました

別にここはお互いに忖度して意思疎通せずに、自分個人の希望を言えばいいのに・・・
とも思いましたが、とりあえず回答を集計しました

治療方針の決定は => 「息子の意見を最優先」
ふむふむ
(肩の荷がズシリ・・・)

告知方針は => 「特に希望無し:お任せ」
ふむふむ
(そうなった時には、先生とも相談しようかな)

ホスピスについては => 「入居希望」
ふむふむ

延命治療については => 「回復の見込みが無ければしたくない」
ふむふむ
(本当かな??)

臓器提供については => 「献体も臓器提供もしたくない」
ふむふむ
(本人がそう言うのなら、仕方ない)

医療費用については => 「自分の財産から使って欲しい」
ふむふむ
(助かります)

といった感じでした

「終末医療」の話は重たい

エンディングノートに様々な項目を入力していると、感じる事があります

筆者も自分自身のエンディングノートを作成しているので同様に感じる事なのですが

「葬儀」や「お墓」に関しては死後の事なので
その時にもう自分は存在しません

しかし、「終末医療」のステージは、そうではないのですよね

これを考えるのは結構重たいです

真剣に考えちゃいます
(他の項目も真剣ですが)

何度も考え直して考えが行ったり来たりします

容易に受け入れられると思っていた「死」というものが
いざ迫ってくると怖くなってきたり

逆に、以前は延命を希望していたものの
その様な状態が続いて、自身も苦しくなって、周りの迷惑も気にななって・・・
ならばいっその事、とか

「死後」よりも「死が迫った時」の方が自分自身にとっての近い未来です

この決断の重さには免疫が無いうちは、容易に判断できるとは思えません

その様な問題を直視したくなく、後回しにしたくなります

エンディングノートをやって良かった

改めて親とエンディングノートを通じて話をして良かった事は

「葬儀」の事や「お墓」の事で、考えや気持ちが少しずつ終活に慣れてきて

「終活」というデリケートな事に対する免疫力が高まってきて

ある程度の免疫力が備わってから「終末医療」について向き合う事も出来る様になりました

勿論、今後も考えが二転三転するかもしれませんが

それは、目を背けずに考えているからですね

これからも、親へのインタビューを地道に続けて行こうと思います

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